沢マン

刺身

昼に高知に着きました。
ひろめ市場に行って食事です。高知の名物くじらや、かつお、ウミヘビなどをお刺身で・・・

高知城

そして、現存12天守の高知城へ。

高知城

かっこよすぎる・・・実は・・・現存12天守なるものを高知城で初めて知り・・・
弘前城もその一つと聞いて・・・悪い病気が・・・
現存12天守を全てみたい!!と思うようになってしまったのです・・・

桂が浜

そして、桂浜・・・
他にも美術館や龍馬記念館などなどたくさんの建築をみてまわりました。
しかし・・・高知で見なくてはいけない・・・と思っていたのはこれらの美しくも伝統ある建築や風景でもなく、新しい技術を駆使した格好いい建築でもなく・・・

沢田マンション

高知のカオス建築、沢田マンション。通称、沢マン・・・
鉄筋コンクリート建築を専門職として手掛けたことのない者が、夫婦二人でのちには、その子どもで現在の管理人??が加わって造りあげた建築物。

その夫の名前は、沢田嘉農は、小学校5年の時、月刊誌『家の光』で見たハイカラな「アパート」の様子に憧れ、集合住宅の建築・経営を一生の仕事にしたいと思い小学校卒業後、祖父の援助を受け、土佐の山中で移動しながらの製材業を始める。戦時中は1年間の兵役を経験。27歳で四万十市に移り、地元の製材所で働くも大工の弟子入り経験も無いまま、自ら現場を手掛け土建屋として建て売り住宅の販売・分譲を開始。その後はアパート経営に乗り出す。

32歳にして、当時13歳の中学生浦田裕江と実質的な結婚生活に入る強者。そもそも浦田家は嘉農の経営するアパートの店子だったが、裕江の父の入院により家計が困窮したため家賃を払えなくなり、裕江の母が子供たちを連れて実家に戻ってしまい、裕江ひとりだけがアパートに残されたためであるらしい。嘉農は未成年誘拐の疑いをかけられ、警察の訪問を受けたこともあるが、裕江が親元に帰ることを頑強に拒んだため、1959年4月10日に結婚することとなった人言います。

現況は、鉄骨鉄筋コンクリート構造、敷地550坪、地下1階地上5階建て?6階という説も・・・入居戸数約70世帯、約100人居住いるという説も・・・

沢マン1

沢マンはカオス・・・店舗もあれば、住宅もあるし、事務所もある、個展を開いている人もいる・・・あやしいコインランドリーまで・・・

建築確認は?というともちろんとっていないが、当時は時代が寛容で、手数料くらいはらってくれたらそれでいい的なために、工事ができたと言われている。

鉄筋を配置した後のコンクリート打ち込みには、小学生の娘まで動員し届かない足でレッカー車を運転して生コンクリートを運び、セメントの練り込みをしたという噂も・・・設計図は自分の頭の中にあるとして、きちんとした図面もなく独自に工事をしていったらしく・・・建築士としてはからり複雑な気持ちでいます・・・

家賃が安くて、改装しほうだいらしく若者に現在は人気だとか・・・

沢マン

屋上には池もあり、鶏なども飼われていました・・・

家庭菜園

さらに、屋上には家庭菜園が・・・
屋上庭園のはしりとかいわれていたりもするとか・・・

マップ

こんな感じでモデルコースもあるくらいで・・・
まぁ、びっくり仰天です。

ちなみに、行政指導のもと工事が止められたりと色々とあるみたいですが・・・バス停にも沢田マンション前と書かれているほど地元民には認知されていて、住民が避難訓練なども自主的にやっているらしく、行政との関係は良好であるものの・・・
違反建築であり、しかし私有財産権の問題、入居者の居住権の問題などから行政も手を焼いているみたいです・・・